過去の後悔 近日やる文化祭

少し思い出したことがあったので、それをおもに書いて、
それ以外のことも一応書く。

今日、学校にいるとき、近日やる*1という文化祭の、出し物の準備してるとこをちょっと見て、
ふと、僕が中学生だった頃を思い出した。
あの頃は、文化祭にも行かなかったし、修学旅行にも行かなかった。
本当は、修学旅行には行きたかった。
けれど、勇気が出なくて、行かなかった。
その後、少し後悔した。

もう一つ、後悔したことがある。
前にも書いた気がするけど、当時通っていた中間教室のこと。
当時の僕は、生徒と会うことを拒んでいた、会いたくなかった。
中間教室に通う生徒は、僕以外にもいた。
だから、中間教室に生徒が居ないときの時間に毎週通い、そこで勉強したりしていた。
ある日、いつものようにその時間に行ってみたら、中間教室に生徒がいるようだった。
その生徒のほうは、要約すると「僕がきても大丈夫だし、むしろ会いたい」とのことだけど、僕はそのとき中間教室に行くことを拒んだ。
その後、生徒が帰ったころに、僕は中間教室に行き、いつも通り勉強した。
今思えば、もしあの時行っていれば、それがきっかけで仲良くなれていたのかもしれないと思う。
当時の僕は、その一つの可能性を潰していた。
中学校卒業の時も、いっしょに写真とろうと言ってくれた生徒がいたようだ(母さんからどうするか聞かれた)けど、僕は拒んだ。

今の自分は、生徒と会うことは大丈夫だけど、
当時の自分は、生徒と会うのが嫌だった。
とにかく、嫌だった。
何故嫌なのかと聞かれても、正確に言葉にするのは無理だった。
自分でも何故嫌だったのか、分からなかったから。
今思えば、「馬鹿にされそうな気がする」とか色々、ネガティブなものが
その「嫌」の中に多くあったんだと思う。

それらの後悔は、
高校に入ってから1年経過するくらいまで、
ひきずってた気はする。


一生に一度きり。
その「一度きり」を無駄にしていいのだろうか

少し悩んだ。
ぼっちだと、文化祭行ってもつまらないし、だから近日やる文化祭に行くつもりなかった。
けれど、ちょっとだけ、興味はあった。
今の自分って、ぼっちなんだろうか。
一生に一度きり、生徒としての一度きりなら、行ってみたほうがいいんじゃないか。
勇気出して、行ってみても、いいんじゃないか。

ここまで書いてて、「やる前から、できないと思ってる人には、何もできない!」というポケモン映画のドレッド・グランギルのセリフを思い出した。
無理しなくてもいいような事に関してだったら、
できると思ってることは、基本的に無理せずできることの範囲内なのかもしれない。
できないと思ってることは、基本的に無理せずできることの範囲外だからなのかもしれない

勇気を出すことって、無理するということなのか?
疑問が湧いてきたけど、なんとなく、そうだという気はする。


このブログ記事を書く前は(「行く気がある」寄りの「行く気がない」という感じで)正直少し迷ってたけど、
行く気が少し出てきた。
どうしようかな。

*1:日付分かってるけど言わない