誰かへのメッセージだったもの(を1から書き直したやつ)

一昨日、とある人のとあるツイートを見てて、心配になったけど、
事情が事情、僕との人間関係が人間関係だったから、その時は言わずにいた。
けど、それでもモヤモヤするもんだったから、メッセージ投げようとして、勇気が必要だったのもあって意外と時間かかっちゃったけど、
今日ツイート見たとき、心配いらないように感じて、僕が送ろうとしたメッセージは、行き場を失った。
そのまま無かったことにするのもなんか不満だったから、メッセージの対象を広げて書き直す形で1から書くことにした。
因みに元の文章の面影は多分あんまない。
意味合い的には少なくとも3割程度は残ってる感じなんじゃないかな多分。



自分は独りだと思ってしまうときはあるよな。
自分の居場所はないと思ってしまうときはあるよな。


確かに、
本当に独りかもしれない
本当に自分の居場所はないのかもしれない


けれど、
それが間違っていることもあると思う。


そばにいて、常に見守っていて、求められたときは助けてくれる人もいるかもしれない
そばにいなくても、離れている人でも、同じかもしれない。


自分がどんなことをしようと、ずっと縁を切らずに居続ける人がいるかもしれない。
何らかの理由で離れていても、求めたとき、すぐそれに応じてくれる人もいるかもしれない。


もしかしたら、自分が見ようとしていないのかもしれない。
もしかしたら、何かが怖くて自分が周りを拒否してしまっているのかもしれない。


今が無理なら、無理でいい。
ほんのちょっとずつでも、練習して、できるようになっていけばいい。


精神が削れるほど無理して何かをしようとしなくてもいい。
精神は無限じゃないんだよ。
現実を見て、そこから目を逸らさないことはとてもいいことだと思う。けれど見すぎないようにね。
逃げないことも時に大事だけれど、逃げたっていいんだよ。
休みたければ休んだっていいんだよ、人生にも休息は必要だからね。


逃げないとしても、休まないとしても、
苦しいなら、つらいなら、泣きたいなら、弱音吐きたいなら、
いくらでも泣いて、いくらでも吐いて、少しでも気持ちを軽くしていこうね。
SNSかどこかに書くのもいいし、誰かに相手になってもらうのもいいし。
カウンセラーやら相談員やらといった人に吐き出すとかも、いいかもね。

心の余裕があるということは、生きていくうえで、何かをやっていくうえで、とても大事なことなんだよ。


自分の居場所ってさ、本来なら自分自身の中にもあるはずなんだよ。
「心の中にいる自分」とうまくやっていけているのなら、あるはずなんだよね。
他にも、自分のことを好きでいてくれる人たちの中にも、きっと、自分の居場所はあるはずなんだよね。