無題

理解しようとする力が足りなかったなって感じる出来事を思い出してて、なんか書きたくなった。
多分そうしたくなったのは、自分に改めて言い聞かせておきたいからというのもあるかもしれないね。


もういきなり書くけど、
正しいから有るんだよね
どんな悪いことも、良いことも。
たとえ自分と違う、同意のできない価値観であろうとも。
大多数の人にとって同意のできない価値観であろうとも。

異常と感じるようなものであっても、そこに有る以上は、正常だと考えることもできる。
この世で起こることすべてが正常であり、異常なことはどこにもないって考えることもできる。
おそらくは、間違いなんてなく、この世には正しいものしか存在しないと言えるのかもしれない。

自分にとって同意のできない間違いな意見だって、
その意見を出した人にとっては正しい意見。

自分にとって共感できない間違いな行動だって、
その行動をした人にとっては正しい行動。


人生を歩む中で、理解できないものはいくらでもでてくるかもしれない
けど、自分にとって理解できないそれを出している者が人であるならば、同じく人である自分自身にも理解できるものなのかもしれない
たとえ今は理解できなくとも、今後の自分ならば理解できることなのかもしれない。

自分とは違う価値観、自分にとって間違いだと感じるような価値観をよく理解することで、見えてくる何かがあるかもしれない
別の見方、いろんな見方をすることで、見えてくる何かがあるかもしれない


自分にとって理解できないことを理解するうえで特に重要なのは、
なぜその人がその答えに至ったかを知るための式を知ること。
どんな価値観や性格などの組み合わせでそのような答えがでたのかを知ること。
そうすれば、今まで理解できなかったことも、きっと理解できるようになる。
僕はそう考えるかな。