無題

タイトル思いつなかった(
自分語りみたいなとこもあるけど、
まぁ自分のことを再確認するため、今までの気付きとかを自分の中で整理しつつまとめるためでもある。
書くことによって記憶に残りやすくなるってのもあるしね。
ってことで本文。


今の僕はニートしてる。
ニートしてるといっても、訳ありニート
心がボロいからね、休ませてる。


心がボロくなったのは、周囲のせいもあるけれど、自分のせいでもある。
周囲のせいといっても、僕の周り全員がこうなる原因だったってわけじゃない。
まぁ、ぶっちゃけちゃえば、小学生時代の担任一人、小学生時代に僕をいじめた同級生一人、両親。
考えようによっては、もしかしたら、小学生時代の先生数人も、そうだったかもしれない。


これに関する嫌な記憶は、小学生時代に集中していて、小学校に関してもあまり良い記憶はない。
だけど、良い記憶が一つもないといったら間違いでもある。
悪い記憶よりは少ないけど、良い記憶も、あるにはある。


小学生時代の僕、小学2年の途中以降の僕は、遅刻魔だった
その原因は、朝が苦手もあるけれど、宿題に対するやる気の無さが最も大きな要因だった
ほんとに、宿題に対する集中力もやる気もない。
けれど、朝になれば、1時間程度で終わらせることができた。日記についてはテキトーだったけど。
こういう習慣を、どうにかしたかったけど、何回かどうにかしようとしたけど、その努力は長くは続かなかった
僕は、「宿題を終わらせてから行く」ということにこだわっていた。
それでも、宿題が終わってなくても両親や先生に無理やり連れて行かれることもあった。


あの頃の僕にとって、宿題をちゃんと終わらせることができている周りが、とても不思議で、羨ましかった。


小5、6年になっても、もちろん、相変わらずだった。
何度も僕が遅刻するから、担任は呆れていた。
呆れていただけじゃなく、僕を馬鹿にした。
授業中も、担任がそのような言動を僕に向かってしていたことがあった。


家ではよく口喧嘩していた
学校では担任に馬鹿にされた。
同級生からの精神的ないじめもあったけれど、
いじめのことは、今考えれば、心のことで考えれば、他のことに比べれば小さな傷だったように思う。


僕の心はこの時点でもうボロボロだった
直したいのに直せない
何度も改善方法を考えようとしても、考え出すことができない
自分でさえも、自分を責めるようになっていた。
「ダメ人間」って。「ダメダメな自分」って。
(ぶっちゃけ今と比べれば今のほうがボロボロだと思うけど。)


今思い出したけど、一応味方と思える人はいた。
学校の中の特別支援学級の先生と、(いじめてきた同級生とは別の)同級生。
けれど、なんていうかな、力及ばずというか、当時の僕にはあまり効果はなかったんじゃないかな、多分。
効果っていうか、心に対する効果は、一時しのぎ程度だったかもしれない、多分。
多分って言ってるのはまぁ、そこ関係で何を思ったか、何を感じたかとかの記憶はあまりないから、他の記憶で推測するしかなくてね、そんな感じ。
味方のことを忘れることが多いほど嫌な記憶のほうが強い、強く染み付いてるってことは、まぁ、そういうことなんだろうなって。


んで、最近気づいたことに関してなんだけど、
「表面上の行動しか求められず、誰かが僕の心に触れたり寄り添うなんてことはなかった。」
先程書いたことから考えて、このことは不正確だったかも。
だからまぁ、書き直すとするなら、
「誰かが僕の心に触れたり寄り添うことはあったかもしれないけど、そうとは思えないくらいに、表面上の行動だけを求められる時間が多かった。」


家族とは、完全に仲が悪いというわけではなく、ワイワイすることもあった
けど、家族が僕の心を理解し、優しく心に触れたり寄り添ってくれたなんてことはなかったように思う
そのうえ、自分ですら自分自身のことを、今のままではダメだと、今の自分はダメダメな自分なんだと否定していた。
自分のことを、自分自身ですらちゃんと分かってあげていなかった。
それで、周りに応えようとしていた。
自分というものが、内側ではなく外側にあった。


小6の冬休み明け辺りには不登校になって、中学生になってからも入学して数カ月後にはまた不登校になった。
中2の頃、ゲームをしていて、とある台詞が心に響いたのがきっかけで、
やっと、自分を変える方法を思いついて、自分ができるとこから初めていった。


因みにそのゲームと台詞は、ポケモン不思議のダンジョン空の探検隊の、ジュプトルの台詞「大切なのは、いのちのながさではなく……。生きているときに何ができるかなのだと思う」
自分を変える方法とあまり関係なさそうな台詞だけど、それが自分を変える方法を思いつくきっかけ、自分を変えるきっかけになったことには変わりない。


高校進学して、友達ができ、その友達に関係したきっかけもあり、太鼓部に入部した
大変だったけどまぁ、なんとかやっていけた
その中で、色んな気付きがあったということは、覚えてる。
高3の時だったか忘れたけど、「今まで入部してきた子たちのなかで一番変わった(変化のあった)子かもしれない」って、指導者が言ってくれて、嬉しく感じたりもした。
ただ、そのことを言われる前(数ヶ月前とか数年前とかそのレベル)、指導者に「皆をおいてけぼりにして先に行ってしまっている」だったかな、そんな感じのことを言われたことがある。
多分だけど、「周りが見えてない」ということかなと思ってる。
今思えば、確かに僕はそんな感じだったかもなと思うけど、当時の僕は、それが理解できていなかった。


小学生時代から劣等感が強く、自分を変えたい気持ちも強かった
だから、皆に、周りに追いつこうとしていた部分がある。


僕が、夢をIT系から心理系に変更して、大学進学することにしたのは、いくつか要因があるんだけど、その中でも部活内であった出来事が一番大きかった。
あれは、初めて僕がハッキリと悔しさという感覚を感じた、とても強く感じた出来事でもあった。
それについては割愛しておくけど、大学進学するかどうかの時に、「心を休ませる(ニートになって休んでから大学進学)」か「大学進学」かのどちらかで迷ってた時期があった。
なんで心を休ませることをせず進学を選んだのか、はっきりとは覚えてないけど、焦ってたのかな、急いでたのかな、そんな感じだったんじゃないかな。
もしIT系のままだったら、大学進学してないと思う。学校に通うのとかめんどくさいし(
大学進学することにしたのは、心理系のどんな仕事をするかがまだ決まってないからだったのもある。
行っとけば今後この仕事やりたいって時にすぐ行動に移せるからとかそんな感じかな。資格で臨床心理士ってのがあるけど、大学院行く必要あったりするし。


そして、県外の大学へと進学して、後悔した
5日連続で通い続けるのは、心が相変わらずボロかったのはもちろん、元々潔癖だったのもあり、精神が削れてくのがはっきりと分かるほど難しく、相談室と相談して週3程度で通った。
最初は、ぶっちゃけ進学の手段が指定校推薦だったから、退学しちゃうと高校に迷惑かかるとか考えちゃって、退学の決断をすることはできなかった。
1年後、自分の中で色々と気付きがあって、「自分の人生なんだから、もっと自由でいいじゃん」だったか「自分の人生なんだから、少しくらいわがままになったっていいじゃん」だったか、そんな感じのことを思って、そのように考え、相談室の人と相談しつつ、退学することにした。
自分というものがいくらか自分の外側ではなく内側にあった時期だった。
そして、退学することにして数カ月後、退学した


少し話ずれるかもだけど、
大学時代、大学の建物の出入口でキリスト教新興宗教の宗教勧誘にあったことがあった
入るかどうか聞かれたりすれば断るし、誘導しようとすることがあれば気づき次第自分の考えでもって誘導されないようにしつつ正直に答えるけど、会話すること自体は特に問題なくて、普段通りに会話した。
キリスト教系大学だったからね、僕も聖書持ってたし、一緒に聖書開いて会話したこともあった。
ルカのとこだったかな。別れる直前に「ルカは医者なんだよ」って宗教勧誘の人が教えてくれたのを覚えてる。
因みに僕は無宗教で、入るとしたらキリスト教だけど、決まり守らなきゃならないとかそういうのめんどくさいのもあって入る気はないかな。
あと新興宗教には抵抗ある。伝統宗教のほうはあまり抵抗ないし、むしろ入るとしたら伝統宗教のほうになる。
で、宗教勧誘の人とは毎週金曜に会う感じで、色々話したんだけど、そのどこかの日で、カードを用いて会話したことがあった
その中で、人の中に十字架を置いたイラストが、今でも記憶に残ってる。
聖書持ってるのにあんま読んでない僕の凄く勝手な解釈だけど、今思えば、あれは自分の中に自分を置くというもののようにも思う
んでそこから考えたことだけど、神様がいるとしたなら、それは自分自身なんだと思う
んでまぁ、神様が内側にいるということは、自分を持っているということとイコールなんだと思う


話戻すね
いつ頃の気づきだったかは忘れたけど、
僕の中には、小学生時代から今までの長い間、「自分を変えたい気持ち」があった
その気持ちは、とても強いものだった
とても強いものだったし、劣等感や不安、完璧を求めようとするこだわりもあったからこそ、
過去の自分を否定し、休むべきだとわかっていても将来の不安からあまり休もうとせず、焦り、急ぎ、ただひたすらに成長しようとして、周りに追いつこうとして、自分でさえも自分のことを余計にダメにした。
「自分が嫌い」というものを作り上げてしまった。
ちゃんと心を管理できていると思ってたのに、違っていた。
過去の自分を受け入れることができていると思ってたのに、違っていた。


心の状態は、思ったよりひどくなっていた
今までゴーグルをつけていることに気づかなくて、やっと気づいて、外してみた時、周りに広がるのは真っ黒で何も見えない世界だった。
ゴーグルがあったおかげで、中学時代の僕が高頻度で考え事していたおかげでできた価値観のおかげで、生きることができている状態だった
それがなければ、今頃、僕はこの世にいなかったようにも思う


今は、「生きる」はあっても、「生きたい」はない
手遅れだった


「生きる」は「生きたい」の代用品で、価値観によるもの。
その「生きる」は「生きたい」ほど柔軟ではなく、「生物を模した機械」と「生物」くらいの違いがある


ゴーグルは、長年メンテナンスされておらず、死にたい気持ちのこともあって、だんだんと壊れてきているのを感じる
メンテナンスするには、「生きたい」が必要だと思うけど、それはもう、ない。




・・・
だいぶ、お疲れさんな気分だよ
「なんで生きる必要があるんだろう」って、「なんで生きることが善で、自殺することが悪なんだろう」って、思ってしまうことがある
そのくらい、今の僕の心は疲れ果ててる。
生きるには、辛さや苦しさに、ずっと、耐えなきゃならない。まるで生き地獄。
・・・ここまで心がボロボロにならなかった人たちが羨ましいよ。





たとえ僕がいなくなっても、第2、第3、の僕が現れるだろうじゃないけど、
たとえ僕がいなくなっても、僕のような価値観を持つ人が、どんな人であろうと相手の心と向き合ってちゃんと相手の心を見て心から人を支えようとする人が、この世にでてきて、心理系の仕事で活躍していたらいいなって、思う。


「加害者も時に誰か/何かの被害者かもしれない」ということは、これからも僕の中に置いておきたい