大丈夫

今回の記事タイトルは、死にたい気持ちになっていた自分に、自分が自分にかけた言葉。*1


「自分が死ぬ日は近い」と感じることがある。
けれど、
「ぜってぇ長生きしてやる」とも思ってる。
諦めと、執念っていうのかな。
片方は、死にたい気持ちに近いもの、もう片方は、生きたい気持ちに近いもの。

死にたいさ、はやく楽になりたいさ
死ねば楽になれるだろうさ
けれど、死ねば、この世でできることは、何もなくなる。
それは嫌だ。

最近、不幸なことが起きることが何故かいつもより多いような気がしてる。
文化祭の1、2日前、家庭内のほうで色々あって、いつもよりも物凄く死にたい気持ちになって、
結局・・・文化祭不参加という形になってしまった。
申し訳ない気持ちのせいで、更に自分を責めることもあった。
何度「死」を含む言葉を、何度「自分なんか死ねばいいのに」みたいな言葉を、脳内で自分に対して使ったか。

面倒くさがり屋、遅刻魔、潔癖、そして・・・迷惑かけてばかり・・・
自分なんか、いなくなっちまえばよかったんだ。
自分がいなくなれば、きっとうちの家族は幸せになれる、太鼓部も僕の心配(?)をせずに済むだろう
・・・なんて、考えたりして、本当に死んだら、結果はどうなるか、自分でも分かってるつもり。
家族とか、友達とか、部活とか・・・、色々と関係を持った以上、死ぬわけにはいかない。

その人にはその人にしかできないことがある
自分には自分にしかできないことがある
自分の代わりは居るようで、実際にはいないんだよね。
僕が所属してる部活である太鼓部の指導者であるパパさんの言葉を思い出すよ
「この世に邪魔な奴はいない」、「○○は、△△に近づくことはできても、△△にはなれない」だったかな


・・・というところで、
この記事に本当に書きたかったことを書く。
凄く久しぶりの、ちょっと考えたこと。
なーんか個人的に(未完成感あるというかダサいというか物足りないというか、うまく説明できないけど、そんな感じに)納得いってない感じはあるけど、未来の自分のためにも、ね。

死んでいい人なんかいない
必要のない人なんかいない。
邪魔な人なんかいない
価値のない人なんかいない。
そもそも人に"価値"というものは存在しない。
人は皆、違う
人は他の人に近づけてもその人にはなれない
ある人が死ねば、その人しか成し得えなかったであろうことは、成せなくなる。
人の違いが新たなものを生む
その違いが新たな違いを生む
その違いが悪いものを生み出すことはあるが、良いものを生み出すこともある
違うことは、良いことなんだ
同じであれば、"この世になかったもの"は生まれない
"違い"が存在したからこそ、"変化"が存在した。
変化が存在したからこそ、今がある。

*1:脳内に複数の自分、面倒くさがり屋な自分とか真面目な自分とか気弱な自分とか一人称が「俺」で基本的にツンツンしてるけど本当は優しい自分とかを置いて、それで雑談したりとか意見出しあったりとかやったりしてるんだけど、その脳内にいる自分が自分にかけまくった言葉の1つ