掌編小説書きたかったけどそう言えるのかよくわかんなくなったりしてブログに書いた

記事タイトルの通り。
書いてるうちに「これ掌編小説といえるのかな」って心配になってきて、全部消して一から書こうと思ったけど消したくなかったからこっちに書いて満足することにする。

作品として書こうとしたやつの最後に「あなた」が二回でてくるけど、両方とも一人の人間(生前の人と死後の人)のことをさしていると解釈するのもいいし、それぞれ別々の人間(読者と死者)のことをさしていると解釈するのもいいと思う。
ぶっちゃけ特にちゃんとは考えず、なんていうんだろ、頭の中に浮かんだことをそのまま書いた感じだからなぁ。
あと因みに、僕のことがベースだったりはする、家族についてもね。ベースがそれってだけだから、(家族のこととか)実際とは違う部分もあるけど。

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今日は平日、
いつも通り電車で大学に向かい、勉強し、電車で帰る。

電車で帰宅中、自分は窓から色んな人を見ていた。
楽しげな会話をする人、車でどこかへ向かおうとする人など。


今を生きていてふと思う
何故人は生きるのだろう、と。

ある人は言う、
人は幸せになるために生きるのだ、と。

しかし、それではどこか腑に落ちないものがある。


幸せ、つらさ、楽しさ、苦しさ・・・
今まで色んなことを感じながら、考えながら、
この人生を歩んできた。
死が訪れれば、それらは全てなくなってしまう

遺された者にとっては全てなくなるわけではないのかもしれないが、
死んでしまった本人にとっては全てなくなってしまうのだろうと、自分は思う。


うまく言えないけれど、
幸せになるために生きるということに、意味はあるのだろうか
死んでしまえば全てなくなってしまうかもしれないのに、それでも生き続ける意味はあるのだろうか
・・・野暮な問いだったかもしれない


数年前、家族の一人が亡くなった。
その家族が亡くなる以前から、死について考えることはあったけれど、
家族の死によって、死をより身近に感じるようになった。

野暮な問いだったとしても問いたい
生きているあなたに問いたい
死後のあなたに問いたい

何故人は生きるのだろう、と。


・・・そろそろ自分が降りる駅だ、考え事はこれくらいにしておこうか。