自分の変え方。

数日前、とある用事で外出中にスマホ見てて気づいたことあってさ、
ちょっと、そのショックと、それによる「仕方ない」と「不安」で、だんだんイライラして、アレだった。
僕との付き合いは長い人だったからね。
んで、久しぶりにしっかり考え事したけど、
イライラしてて、あまり頭がうまく動いてなかった。
※あと、この記事の殆どは、一部を除いて、その当時の文章のままだったり。


んでまぁ、その話はともかくとして、
自分を変えるということね。
僕の場合、今まで、何かに追われるようにして、自分を変えていってたのよ。
・・・いや、追われるというよりかは、何かから逃げるようにして、自分を変えていってたってほうが、正確なのかも。
んでまぁ、そのことについてさ、「完璧主義」が関わってるんだろうと考えたのと、それを調節できるかがカギになるんだろうと思った。
しかも、その完璧主義は、「不安」だったかそういうものから出てるからね、やっぱ「不安」もカギになると思う。
それと、「他人軸」だからね、周りから言われる色々、周りから言われるかもしれない色々を怖がってるってのもあると思う。
それが、僕が怖がってるもの、僕を追いかけているものの正体なんだと思う
言い換えるなら、それが僕の「自分を変える原動力」になっていた。
これでいて、自分のペースでできていたんだろうか・・・。
僕としての答えはNoになる。

例えば熊とか狼とかに襲われそうになったとき、ひたすらに、必死に逃げようとするよね、そんな感じ。疲れても、いくら疲れても、逃げ続ける。
疲れても永遠に逃げ続けたら、その先には何が有ると思う?、死だよ。
僕は、最終的に死にたどり着いてしまうような方法で、自分を変え続けていた。
この方法で何年自分を変え続けていたと思う?、
大学退学するまでとして言えば、変わろうとし始めた中2を開始として、中2~大学退学までで、8年くらいだよ。
ずっと自分を責めるくらい悩み続けてた頃も含めて小5からだったとして言えば、+3年で11年だよ。
だいぶ疲れ切ってたはずなのよ、それに、大学進学したはいいけど、潔癖のこともあったせいで、大学での通学大変だったからね、そこでも精神をすり減らした。


自分は、自分のペースで進むことができていなかった。
あの頃の間に僕と繋がった人からすれば、おそらくそれが僕の「自分のペース」のように見えるかもしれない。
実際は違う。
違ったんだ。
自分のペースで走れてない時間が長すぎて、感覚が麻痺してたんだ。麻痺してたんだ、あの頃の自分は、自覚できないくらいに。
自分のペースで走れてないのに、自分のペースで走れてると、勘違いしてたんだ。
実際、高校時代、太鼓部の恩師に「お前は皆より前に進みすぎだ」とのようなことを言われても、その時は何も自覚できなかった、理解できなかった、何のことを言ってるのかよくわからなかった。
自覚したのは、それから年単位で時が経ったあとだった。

正直、今となっても、僕の「自分のペース」がどういうものか、いまいちよくわかってない。
とりあえず現在の状態を「自分のペースでできている」と判断しているけれど、
精神面もだいぶ疲れ切ってるからね、「"本来の"自分のペース」が、全くわからないんだ。
走りまくるとさ、あんまり走りすぎれば、なんか、口の中が血の味だか鉄の味だかするよね、そのレベルまでいったような感じ。

多少走っただけの人なら多少の休みですぐ同じ距離を走れるけど、
走りすぎた人が、多少走っただけの人と同じくらいの時間を使って休んだところで、同じ距離は無理に走ろうとしないと走れない。

疲れたら、その疲労を消すことができるくらいの回復時間が必要になる。
心も、同じだ。

休ませるも無しに無理やりにでも走らせば、余計に疲れ、余計に休むことが必要になる。


ここまでで、「走り続けたい気持ちを持って走り続ける人」と、「必要にせまられて走り続ける人」のことは話さなかったけど、
まぁ、前者であれば、自ら走り続けることができる、自分のペースで走っていける人ということになり、
後者であれば、何かに追われて走り続ける、自分のペースで走っていけない人になる。
僕は、後者だ。
だから、今は、自分のペースで、前者として走っていけるようになろうと、練習してる。
自分のペースでやっていく練習。


ぶっちゃけ、僕にとって、僕自身のこの問題は、簡単には考えたくない問題なんだ。
自分らしさにもかかわってくるし、自分を変えるための行動の中では割と重要なものだと考えてる。
「散歩しろ」、「行動しろ」、そういう簡単な問題じゃない。


変わることに関しては、ぶっちゃけ、
自分の自由にさせてくれ、今まで、「僕自身」も含め、色んな「人」や「言葉」が、僕を縛ってきたんだ。
もう僕以外の人が強くは押してくるな、未だに転んで傷つきやすい状態になってるんだから。
苦しいんだ。つらいんだ。
自分のペースを崩すくらい、走り続けることが。


もういい加減・・・自分のペースで、走らせてください・・・。
追われながら走り続けることには・・・もう、疲れました。
ここ最近で、やっと、ある程度、自分を自然と努力の方向に向かわせる頻度を上げる方法がわかってきて、その練習とかしているんです、
それを、失敗に終わらせないでください・・・。
また・・・あの頃のようには・・・させないでください・・・。
自分を・・・あの頃に・・・戻さないでください・・・。


ここまでで少し文章チェックして一応落ち着いたけど、
なんつーの、自分らしく生きるためには、自分のペースで生きることがまず大事になると思う。
今の僕としては、そう考える。
生きるうえで一番大事なのが「命」で、
人生を歩むうえで一番大事なのが「自分のペースで生きること」。
そういう感じなのかなって。
まだ自分の中でもよくわかってないけどね。


僕の場合、思考的にも精神的にもアレだから、そもそもの「自分のペース」というものを作り直さなきゃいけない感じだと思う。
んでまぁ、「追われながら自分を変える」っていうのは、なんつーか、ある意味「ブラック企業社畜」になってるような状態とも言えるんじゃないかなって思うんだ。
じゃあどうすればいいか、それはまず自分が安心できる環境に身を置くこと。それが一番大事なんじゃないのかなって思う。
安心ができれば、そのぶん心にも余裕ができるわけだ。
安心できるぶん、自由に物事ができるわけだ。
休むも良し、好きなことするも良し。
そこで初めて、だんだんと、ゆっくりなところから、スピードが上がって、
それでやっと、「自分のペース」でやっていけるようになる。そういう感じだと思う。
スピードが上がるのは、主に精神面の回復次第だと思う。
精神面を回復させるためには、先程の「自分が安心できる環境に身を置くこと」も大事だし、
他にさ、緑のある場所に行って癒やされてくるとか、ゲームをするとかWikipediaで興味のあるページを見まくるとか、自分が楽しいと感じることをするとか、そういったことが大事だと思う。
ただ、自分を変えるときに一つ注意したいのが、「ああしなきゃいけない」「これをやらなければならない」をあまり強く持たないこと。
それがあんまり強ければ、プレッシャーになって、ストレスになって、それが逆に、自分を変えにくくなるというか、自分を変えることが比較的効率の悪い状態になったり、自分の心を傷つけて視野を狭くする(今後思いつく選択肢が少なくなる)ことに繋がったりもする。だから、それがあるとしても、必要最低限なものでないといけないと考える。
あと、そういえば、僕が大事にしてることとして、どんな自分も許すこと、許容すること。
「絶対にこうしなければいけない」、「目標設定したのに思った以上にすすんでないからダメだ」みたいに本気で考えたりしてしまうと、自分を傷つけることにも繋がりかねない。
だから「こうしなければいけないけど、絶対ではないからまぁいいや」とかさ「目標達成できそうにないけどまぁいいか」とかさ、「失敗しちゃったけどしゃーない」とかさ。
そういう感じでいいと思うのよ。
何事も、ほどほどに、自分にとってちょうどいいバランスでやったほうがいいと思うのよね。
焦ったり急いだりすることはあっても、焦りすぎず、急ぎすぎず、ね。
どんなペースだろうと、自分のペースならどれだけ遅くたって速くたっていいと思う。
自分のペースって、人それぞれだと思うんだ、性格や精神状態の影響もあるだろうけど、
人によって、比較的遅いペースのほうがちょうどいい人もいたり、比較的早いペースでどんどん進んでいける人もいたり。
あとさ、自分をどれだけのペースで変えていけるかは、
どこを変えるのか、自分がそのためにどういう方法を使うのかだけじゃなく、
自分の精神状態次第でもあると思うのよね。
仕事だって同じはず。
いくら効率的に仕事ができる環境があっても、
精神状態が悪いだけで、仕事も思うようにいかなくなると思うんだ。


僕はハードルが低い方法での変化を好む
ハードルが低い方法を使うということは、エネルギー消費量が少ない方法を使うということ。
今の僕が使えるエネルギー量は少ないからね。今の僕としてはこれがいいと思ってる。


僕は、とある人のように、過去をうまいことバネにして動ける人間じゃない。
悔しいから見返してやるとかそういうのを常に原動力にして動けるような人間でもない。
そういうのを原動力にしても、今の僕にとっては、それで動ける人より非効率なものになるんだよな。
じゃあどうすれば僕は変わることができるのかといったら・・・まぁそうだなぁ・・・
まず、安心できる環境に身を置くこと、自分のペースを大事にしてやっていくこと、
「こうするべき」のようなものは必要最低限にしておくこと、自分をなるべく許すこと、
自分をなるべく許す中でどうしても許せない部分があっても「それでもいいんだ」となるべく許すこと、自分が自分を自由にしてやること、
本当の自分と話し合うこと、本当の自分と二人三脚でやっていくこと、
本当の自分がこけたらまた走れるようになるまで待ってあげること、自己分析をすること、
よく考えること、好きなことをすること、
「何もしないこと」も何かをしているうちに入ると考えること、時にはぼーっとすること、
他にも色々ありそうだけど、こんなとこよな。
とにかく一言にまとめれば「ずっと縛られていた状態の自分を自由にしてあげること」、そういうことなんよな。
今まで、こうしなきゃいけないああしなきゃいけない的なもので縛り続けてきたからな・・・。
だからそのぶん、僕は、どれだけ時間がかかっても、自由にさせてやりたいんだ、自分を。
自分を自由にさせようとしながら、自分のペースで物事を行えるようにしていきながら、自分を変えていきたいんだよ。