そろそろ平成おわり

あと約2時間くらいで平成終わるねー
といってもあと2時間くらいしかないからなるべくこの記事書き終わらせないと・・・w


んー、ま、色々あったよね、色々と。(てきとう
平成9年8月2日に僕がうまれて、
ポケモンもその前の年にこの世に誕生して、
僕がポケモン好きになったのは、アニメで言えばポケモンAG時代で、
僕がポケモンのゲームをやり始めたのは2008年で、そのゲームはパールで・・・


小学校高学年時代には、いじめを受けて、遅刻魔だったから先生に馬鹿にされ、家ではよく母さんと口喧嘩して、
そういう自分を変えたいと強く思ったりしたし、そのための努力を何度かしたけど、長続きせず、別の方法を考えようとしたけど、当時の自分には何も思いつくはずもなく、自分を変える方法を考え出すことのできない自分の心を自分で傷つけて、
小6の冬休み明け直後とかその辺りで不登校になって・・・
自分に合うような「自分を変える方法」は、中2の頃にやっと思いついて、遠回りだけれど、自分ができるところから自分のペースで続けていって・・・
中学時代は中1の途中から最後まで不登校だったけれど、色々あってLinuxを使うようになって、Perlを扱えるようにもなっていって・・・
高校時代には、ひょんなことから友達ができ、太鼓部にも入って、部活をやっていく中で、意見を言えるようになったり、コミュニケーションの面で他にも改善した部分があったりして、
他にも、部活内で色々問題が発生したりしていく中で、心理系に対する興味が強くなり、悩みもあったけど、結果的に夢がIT系から心理系に変化していって、
大学時代には、一応通うことはできていたものの、自分の元々の精神面の問題とかで、結局2年の時に退学して、心の休養も兼ねてニートになって・・・
今年4月10日、祖母が死亡して・・・


んー・・・、まぁね、ほんと色々あった
あ、そだ
恋愛感情とかそっちの話書き忘れてたけどいれることができそうな場所がなくて、書き直すのも面倒だからここに書くけど、
高校入学前後辺りまではノンケで、もちろん男を好きになることなんてなかった。
で、高校入学前後に、とあるイルカのちんぽを男性職員がフェラする動画見たのがきっかけで、だんだんケモノ好きになっていき、それで自然とオスもイケるようになり、気づけばゲイ動画見れるレベルにもなっていき・・・
でまぁ、その後も色々あって、高校時代の途中から、自分をQ、クィアとしたんだよね
理由としては「(自分をゲイとした時に)ゲイの人に何か『お前はゲイじゃない』とか何か言われそうで怖い」とかそういうものだった。
だって、高校の途中までは、恋愛興味皆無だったんだよね、「Aロマンティック(恋愛:興味皆無、エロとかそっち:興味ある)」と言えそうなレベルで恋愛興味皆無で、そういう自分が男に対して恋愛感情らしきものを抱いてることに気づいても、それが恋愛感情と言えるのか、マジでわからなかった。
だから、とりあえず自分をQ、クィアとした。
因みに自分をゲイだとすること自体には特に抵抗はないんだよね、ゲイの人から何言われるかわからないという不安で自分をゲイとすることができないだけで。
んでまぁ、その後、大学進学して、相談室で色々相談する中で、この話もした結果、自分をゲイとしようと考えて、今に至る
・・・意外なもんだね、自分が自閉症(正確には自閉症のグレーゾーン)だということをプロフに書く前後と同じように、やる前は何言われるかわからず不安だったのに、実際にやってみると、自分が傷つくようなものとか言われることもなく、やる前と変わらない、ただ相変わらずの日常が過ぎていく。


ここまで書いた時点で23時になっちゃった
・・・んーまぁ、さっきの恋愛事情っていうのかな、その件に関してね、僕がゲイだということを知ってる家族っていうのは、妹しかいないんだよね
その妹に直接CO、カミングアウトしたから妹だけ知ってるってわけじゃなくて、ツイッター上で間接的にCOしたような感じ。
んでまぁ、妹以外の家族は僕がゲイであることを知らなくて、もちろん亡くなった祖母も知らない。
・・・祖母が生きているうちに、祖母にCOしていたら、どうなってたんだろな・・・(´・ω・`)


あと十数分で平成から令和になる
僕がゲイであることを家族にCOしたいとは思ってるし、
祖父や母さんに言っても否定されることはないだろうと信じてるけど、
なかなか勇気出せないんだよね。
なんで勇気出せないのかは、うまく言えない。
けどまぁ、いつか、COしたいね、そのほうがスッキリするだろうし。


なんか思った以上に恋愛面の話長く書いちゃったw
・・・まぁそれは良しとして・・・、
令和は、どんな時代になるんだろうねぇ・・・


平成が終わるまで、令和が始まるまで、
残り37分・・・


良い時代になってくれるといいな・・・
自分にとっても・・・

未来のこと

これの一つ前に書いた記事に一緒に書く予定だったけど、最後の文章が区切りとして良すぎたから一緒に書くのやめて別の記事として書くことにした


未来のことね、なんつーか、色々と不安なんだよね
こんな状態の僕がうまく生きていけるのか、ホームレスにでもなって死んでしまうようなことにならないかとか。
範囲を広げて言えば、母さんが死んだ時のこととか、自宅のこととかも。


僕の心の本来の状態は、だいぶ酷くなってると思ってて、HPで例えるなら0%とかかな、そのくらいだろうと思ってる。
けど、中学時代の僕が自分自身の価値観を沢山いじってくれてたおかげもあって、価値観や理性のおかげで、最大50%程度くらいで保ってると思ってる


なるべく自立しなきゃいけないと思ってる
ただ、潔癖なとこがネックになってて、そのための努力をするのが難しい


潔癖と言っても、病院でそういう診断もらったってわけじゃないから、自称潔癖なんだけども。
消毒液18Lを一ヶ月半で完全に消費するだとか、消毒スプレーは必需品だとか、人や他人の物に触れることができないだとか、バスや電車の吊革に触れることができないだとか、そういうレベルにはなってるけど。


少し話からずれてくけど、潔癖じゃない人のキレイの基準がわからないんだよね、それがわかればいいかなとは思うけど、なんつーか、わかったところで、それを参考にすることが難しくも感じるっていうか・・・
んー・・・なんて言えばいいんだろ・・・
・・・・・・そもそも「汚い」ってなんだろね、なんで「汚い」と感じるんだろね、なんで汚いから洗うんだろね。「病気にならないため」とかそういうのは当たり前ではあるけど。
なんでトイレ行ったあと洗わない人は嫌われることがある?やっぱり気持ちの問題?菌じゃなくて?
気持ちの問題だとしたら、なんでそういう気持ちになる?
んー・・・、どうなんだろな。
・・・まぁ、中途半端かもだけど、そんなこんなで話戻すか。


潔癖のことをどうにかしたい気持ちもある
働きたい気持ちもある
けど、怖いという気持ち、不安な気持ちもある
働いた経験がほぼないようなものだから当たり前かな多分。
因みにバイトは一回しかやったことない。


・・・なんつーか・・・
焦りがある。
その焦りは、何年か前に殆ど消し去ることができてたはずなんだよ
けど、祖母の死がきっかけとなって、また強くなって出てきた。


ちゃんとしなきゃならない
ちゃんと潔癖を直して、ちゃんと心を回復させて、
ちゃんと勉強して、ちゃんと働いて、ちゃんとお金を稼いで、
ちゃんと自立して、ちゃんとやってかなきゃならない
そんな感じの焦り


けど、焦るとかえってストレス溜まったりして、自分のただでさえボロボロな心に悪影響なんだよね
だから、なんとかしようと思ってる部分もある、なるべく考えないようにしようとしてる部分もある。


あんまりそういう焦りが強くなると、死へ向かいたくなるような気持ちがでてきてしまうのもあるから、なるべく避けたい。


心のことに関しても、潔癖のことに関しても、病院へ行ったりはしてないから、働くことよりも心や潔癖のことを優先したほうがいいのかとかその辺りは自分で判断するしかない
できれば病院行きたいけど、事情があってね・・・うん。


昨日の昼間前後に起きて、こんな時間(午前5時)まで起きてブログ記事書いてるというのも心に悪影響なのはわかってる
ただ、中学生時代も、今と同じように、起きたい時に起きて、食べたい時に食べ、遊びたい時に遊び、寝たい時に寝るっていう生活しててさ、それでも心は回復していってたはずなんだけど、なんでかなぁ・・・
感覚的には、心の状態は中学生時代よりも酷くなってると感じるから、それの関係かなぁ・・・
・・・いや、遊びが足りてないのもありそうかも。実際中学生時代の時より遊んでる時間が少ないし。




なんつーか、心が凄くボロボロな状態で、焦りやすくなってる時って、
未来のことを考えないようにする必要がある気がするんだよね。
なんつーか、
"今"だけに目を向けるようにするっていうか、
"今"だけに目を向けて、(未来の自分のために何が必要かで考えるのではなく)今の自分のために何が必要かで考えてやっていくっていうか。


あんまり将来のことで焦ってしまうとさ、選択を間違えてしまうこともありえる。
未来で不幸になるのはそりゃ嫌だし怖い。
けど、未来で本当に不幸になるのかは、"未来"が"今"に変化してからじゃないとわからない。
なんなら、将来のことで焦って選択したあとの未来よりも、将来のことで焦ることなく選択した未来のほうが幸せだったってこともあるかもしれない。


心は命と同じように一生モノ。
自分の心が発する言葉に耳を傾けず、今の自分に合わないような道を選んで、かえって更にボロボロになって歩めなくなって、その道を歩めるようになるまでの時間が必要になってしまうことになるくらいなら、
自分に合った道を選んで、自分の心をなるべくボロボロにさせることなく歩んでいったほうがいいんじゃないかと思う。
もしかしたら、思わぬ出来事がきっかけで、現在よりも幸せになれたりするかもね?


人生って、「こういう幸福は起こらないだろうな」って考えてても、実際にそれが起こるなんてこともあるし、それもそれで面白い。