葬式終わり。

14日で葬式終わり。
やっぱり、泣いちゃうときは、泣いちゃうもんだね。
13日がお通夜で、14日が火葬とか告別式とかだったんだけど、その二日間のことを書こうと思う。
あと、マナー的には最悪かもしれないけど、必要最低限で写真撮った。ほんとはたくさん写真撮りたかったけど、なるべく我慢した。
二度と見れないかもしれない景色とか、なんというかそういうものは撮りたくなっちゃう僕だからね(
それに、僕の手元には、おばあちゃんに関するものは何もなかった。あってもいずれは消えてしまう記憶だけ。だからせめて、”目で見ることのできるもの”を手元に残したかった。死んだおばあちゃんの写真を手元に残すのもなって感じもするかもだけど、ないよりはいいかなって。火葬が始まれば、もう二度と、亡くなった時のおばあちゃんの顔は見れないし。(遺影にはだいぶ前の写真を使ってるから髪の毛真っ黒だし。)
まぁもっともらしい理由を後付けでつけるなら、妹は病気の関係で、13日は(自宅でのお通夜だし)出ても、14日は家で留守番だったんだよね。だから妹のための思い出の一部として渡すのもしたかった(実際今日の昼頃にairdropで渡した。僕も妹もiPhoneだからね。)


13日のお通夜直前、僕はなるべくお通夜に間に合うように支度してたんだけど、予定より早く始まったみたいで、ネクタイ閉めずに上は白シャツ、下はスーツのズボンという状態で参加した
母さんだったか妹だったかとの会話で、言い間違えで何かの言葉(「葬式」だったかな?)を「宴会」って言っちゃって自分で草生やした。多分妹との会話だったと思う。
お坊さんが登場する直前まで何度か(なるべく声は我慢しつつ)思い出し笑いしてた(

んでまぁ、正座したら思ったより楽に座れたし、その後もちゃんとやったはいいけど、立つ時に足の感覚がやばくて、「足やべえwwwwwwwww」ってなってた。
ほんとマジ足の感覚わかんない、ちゃんと指全開にしてるつもりだったんだけどまだ全部の指グーにしてるような感覚とかだった。
おかげで左足の親指曲げたまましっかり立った。おかげでそれから数日間はその指だけ(「いてぇ!」ってなるほどじゃなく特に気にならない程度だけど)ちょっと痛むようになった。

納棺で、共同作業っていうのかな、それやったんだけど、最初は潔癖的に触りたくない気持ちが強くてアレだったけど、おばあちゃんの体を棺桶の中に入れるのと、花をいくつかいれるのと布団かけたりするのはやった

14日、出棺前ね、おばあちゃんに手を合わせた。
葬儀以外で、家で肉体を持つおばあちゃんを前にして手を合わせるのはこれで最後。
今度はしっかり支度して、
葬儀内でやることやったあと、いつものショルダーバッグかけたりして、マイクロバスで火葬場へ。
やることやって、おばあちゃんに「ありがとう」って言うのもやった。
泣いた。
(ぶっちゃけこの日のことを思い出しながらこれ書いてるから今ちょっと泣いてる)

火葬が始まって、僕達は火葬が終わるまで待ってる時、妹から「誰か来たんだけどこわい」的なメッセージがきてることに気づいて、母さんと相談したり父さんと話し合ったりまた妹と会話したりして、父さんに頼んだ。
そのメッセージがきたのにはわけがあって、妹は知らない人に会ったりするのを怖がるから、それの関係なんだよね。
多分、不登校の頃の僕と同じなのかなって思ってる。
あの頃の僕も、家にずっとこもりっきりで、家族以外と話す機会があまりなかったから、知らない人と会話することがすごく苦手だった。そんな感じなのかなって。
ただ、妹ほどではなかったんだけどね。あの頃の僕は同級生に会うのが怖いだけで、その人以外に会うのはOKだったし。話すのは(現在よりも当時のほうがコミュ障だったし)すごく苦手だったけど。

で、妹のことで母さんが「私が家に行く」みたいなこと言ってたけど、妹は「父さんがいい」みたいなこと言ってたし、母さんのことに関して妹は「葬儀に参加したままでいい」みたいなこと言ってたから、僕は母さんに「妹は妹なりに母さんのこと気遣ってんだから、ここは父さんに頼もう」みたいなこと言って説得した。
僕としても、妹の判断に賛成してた。
だって僕にとっての祖母は母さんにとっての親だからね、それもある。

で、火葬が終わって、骨だけになったおばあちゃんと対面。
二人一組、一組につき骨を一つ、箸使って骨壷に骨を入れていく。
僕は母さんと一緒に骨を骨壷に入れた。
そのあとは、家族だけで、つかめる骨を骨壷へとどんどん入れていく。
つかめる骨がなくなったら職員が残りをかき集めて骨壷へ。
喉仏から上の骨を入れる作業がどこらへんであったか忘れたけど、多分つかめる骨がなくなったあとあたりかな。

で、全ての骨が入った骨壷を職員がふろしきで包んだり、まぁ色々やったりして、家族で白木位牌、遺影、骨壷を持ってマイクロバスへ。
僕は遺影持ってた。マイクロバス乗ったときは隣の席に遺影乗せてた。

んで、告別式。
指示がある時以外は、僕はまっすぐお坊さんや遺影があるあたりの方向を向いてた。
お坊さんがお経読んでる時、突然おじいちゃんが僕のほうへと倒れてきた。眠いような感じだった。「おいおい・・・;;;;(寝るなよ、おじいちゃん・・・^^;)」って思った。
告別式の時はほんとに何度も泣きそうになって、ご焼香の時にはほんとに泣いた。

告別式のあとだったか、いつだったか、母さん自身や祖父自身から聞いた話で、祖父はその時(耳が遠かったのもあって)ほんとに眠くなってたらしく、母さんも眠くなってたようだった。
僕は全く眠くなかったなぁ・・・_(:3 」「)_

あと、母さんが原稿を丸読みしてるときに、僕が自殺した場合のことを考えてたけど、「僕が死んで今回と同じ感じになったら申し訳ないな」みたいなことを思った
(あとでここ編集する)

初七日法要の時だったかな、お坊さんが最後に農作業で使うクワの形した道具持って「ねはん しょうじ」や「しょうじ ねはん」を何回か唱えてたけど、あれなんの意味だったんだろ・・・
検索してみると「生死即涅槃」ってのがヒットするんだけどこれ関係なのかな???(よくわかんない

んで告別式が終わり、精進落としの食事を食べ、トイレ行ったら洋式トイレが詰まってたという・・・
ちょっとした不幸だったけど仕方ないと考えて小便して手洗ったあと職員に言った。
で、その後帰宅する準備してマイクロバス乗って帰宅。

(妹がいるのはわかってるとして)誰の気配もなかったし父さんも既に帰ったのかなと思ったらいたっぽかった。
火葬中に来た人の件については、祖父の兄から祖父宛に送られた荷物を渡しにきた配達員だったということがわかった。
んで、祖母の遺影とかを置く場所辺りで祖父と父さんが会話したあと、今度は台所で祖父と父さんと母さんと僕で話し合い、玄関あたりで母さんと父さんと妹と僕でまた少し会話して、葬儀の関係で残った未開封のビール缶を父さんに持っていってもらった
父さんが「体がお酒を受け付けない状態になってる」って何度も言ってるのに、結局同僚とかに渡すということで持っていってもらうことになっちゃってたけど、僕がとめにいったほうがよかったんだろうかこれ・・・(その場にいたけどどうすればいいかわからず見てるだけだった)
まぁ酒をよく飲む人は家族にはいないしなぁ・・・ あれアルコール入りとノンアルコールがばらばらに混ざってる状態で十数本くらいあったし・・・。

あれから数時間後の夜、自室の出入り口辺りでちょっと母さんと会話したあと、
何かに引っ張られるかのように、普段はないようなその場の空気に惹かれるかのように、なんとなく自室から出てみた。
葬式が完全に終わり、だいぶ静かになった玄関。
なんというか・・・終わったんだなって・・・。
うまく言えないけど、寂しさを感じるというか・・・落ち着きを感じるというか・・・なんというか・・・。


・・・
ほんとに・・・
おわったんだね・・・
・・・

まだ亡くなったばかりだからだと思うけど、
今になっても、おばあちゃんのことを思い出すたび「おばあちゃん・・・(´・ω・`)」ってなんとなく(頭の中で)つぶやいてしまう。

この親にしてこの子ありって感じなのか、祖母も、母さんも、僕も心配性なとこがあるんだよね。
んで、心配性だから、祖母が生きていたときも、僕は祖母のことをよく心配していたし、何か力になれないか考えたこともあった。
祖母も祖母で、しつこく感じるくらいに家族のことをよく心配してた。
ありがたかったね。

・・・まぁ、ね・・・多分・・・僕が心配症だからだと思う、思い出すたび「おばあちゃん・・・(´・ω・`)」って(頭の中で)つぶやいてしまうのは。
その場にいなくて分からないから、僕の見える範囲内にいないから、心配してしまうんだろうけど、信じないといけないかな。
・・・信じてやらなきゃね、おばあちゃんのこと。