自分のことで、ちょっと思ったりしたことあったので書いておく。

タイトルの通り。


一つ前の記事で心のこと、"ゴーグル"のこと書いたね
よく考えればさ、この"ゴーグル"って、
「あくまで生活上問題なく活動できるようにするためのものであって、(根本的な解決の補助はしても)根本的な解決はしないもの」なんだろうね。
んで、生活上問題なく活動できるようにするためのものだったのもあって、自分の心の本当の状態に、自分ですら気づかなかった。
いや、問題なく生活できてたから心の状態を軽視して、気づこうとしなかったってのが正しいかもしれない。

壊れかけたゴーグルっていう詩を書いたあと、
あれからちょっと自分の心のことで考え事だったり、脳内シミュレーションだったりをしてたことがあって、その中には気づきもあった

ぶっちゃけ言うと、僕が思ってたより、心の状態は酷かった。
"ゴーグル"を外したままにしておけば、そのまま自殺しそうなくらいには。

やっぱりさ、"ゴーグル"を外すと視界が真っ暗なんだよ、
視界に映る世界は、本当に真っ暗で、何も聞こえないし、何も見えないし、何もない。
自分だけが、自分ひとりだけが・・・なんというか、ただそこにいる。
わかりやすく言うなら、外側も内側もベンタブラックくらいに真っ黒い立方体(数km四方)の部屋の中に自分がいるような、そんな感じ。

"ゴーグル"をつけると、
視界に映る世界は、自分が今いる場所、例えば自分の部屋とかね。
んで、音楽とか人の話し声とか聞こえるし、照明の光とかもちゃんと見える。
自分だけじゃなくて、色んな人の存在も感じる。そこに自分が存在してる。

僕は今こうしてブログを書くことができてる
僕は今こうして生きている
それは"ゴーグル"をつけているからできること。

"ゴーグル"をつけている自分も、"ゴーグル"をつけていない自分も、どちらも"本当の自分"ではあるけれど、
ぶっちゃけ、(あまり認めたくなかったけど、)どちらかというと、「"ゴーグル"をつけていない自分」のほうが、本来の今の自分(心の状態がきちんと反映されている状態の自分)と言える。


今思ったけど、「生きたい」がなくなった時点で、僕の心は壊れていたのかもしれない。そんな気がする。

開放病棟だか閉鎖病棟だかに入院してさ、本格的に治したいとは思うけど、
入院費とか、金銭面のこともあるからね、あまり言い出せない

入院できたら、一旦"ゴーグル"を外したいね。ちゃんと治したいし。

ちゃんと治したいから、一旦"ゴーグル"を外したい。
"ゴーグル"を外せば、何度でも自殺するための行動をしようとしたりするのは目に見えてるから、可能なら入院したい。



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自分の心がここまでのレベルになってしまった原因は、僕にもある
食事や運動の問題を除いたとしても、
自分に無理をさせるかのように、ダメダメな自分をどうにかしようとして、焦ったり急いだりもしてた。
心にだいぶ負担をかけさせてた。
そしてそれを、心の問題を、"ゴーグル"でカバーしてた。

ダメダメな自分を変えようとするのはいいことだけれど、だからといってそうやってでも無理しようとするのは、ほんと良くないね・・・